映画「インディ・ジョーンズ レイダース 失われたアーク」の感想・レビュー

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(※内」容について本文で一部言及しています。未視聴の方はご注意下さい。)

評価:☆☆☆☆

 インディ・ジョーンズシリーズの1作目になります。監督スティーブン・スピルバーグ、プロデューサー ジョージ・ルーカスという黄金コンビの作品です。今でこそ「インディ・ジョーンズ」とシリーズ名が頭についていますが、公開された当初は「レイダース 失われたアーク」というタイトルで公開されたようです。この「レイダース」がヒットしたので、続編が作られ、「インディ・ジョーンズ」シリーズとなったようです。

 映画の時代背景は1936年になります。ドイツ国防軍がポーランドに侵攻して第2次世界大戦がはじまったのが1939年9月1日なので、まだ第2次大戦前という設定です。ただナチス党はすでに存在するようです。よく第2次世界大戦のヨーロッパをテーマにした映画が作られると思いますが、その場合ほとんどドイツ軍が敵役として描かれています。それってドイツ人はどんなふうに思って見ているんでしょうね。

 物語はモーゼが十戒を刻んだとされる石板を収めた棺(アーク)をナチスが探しているというところから始まります。アークの場所を探すのに「ラーの杖の冠」が必要になります。その冠はインディ・ジョーンズの恩師レイブンウッドの娘のマリオンが持っていてネパールに住んでいます。まずはそれをもらいにネパールに住むマリオンを訪ねますが二人には男女の因縁があるようです。ひと騒動あったのち「ラーの杖の冠」を携えアークを探しにインディ・ジョーンズとマリオンはカイロに向かいます

 話は突然変わりますが、宮﨑駿監督はインディ・ジョーンズシリーズがあまりお好きではないようです。1984年に宮崎監督の「魔女の宅急便」が公開されました。その時映画の宣伝の意味合いもあったのでしょうが雑誌のインタビューを受けて、そのインタビューの中でインタビュアーがその時点で公開されている映画の興行ランキングを見せて宮﨑監督に意見を求めます。

その時のランキング上位に「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」が入っていたのですが、それを見た宮崎監督は次のように言って怒り出します。「なんで、日本人はこんな文化植民地主義的な映画をありがたがるんだ!」。正確に「文化植民地主義」とインタビュー記事に書いてあったかどうかは覚えていないのですが、インディ・ジョーンズに対して否定的な感じでした。そのインタビューを読んだ私はなぜ宮﨑監督が怒ったのかその時は理解できませんでした。

宮﨑監督の怒りの原因が分かったのは何年か経ってからでした。「ゴルゴ13」の「東洋のビーナス」を読んで宮﨑監督が怒った理由を理解しました。それはカンボジアの「アンコール遺跡」の話で、現地のカンボジア人考古学者と西欧の白人考古学者の間で論争がありました。

カンボジア人考古学者の主張によると西欧の先進国は開発途上国の文化遺産を収奪しているというのです。その例としてあげているのがパリのコンコルド広場にあるオベリスク、同じくパリのルーブル美術館にあるロゼッタ・ストーン、大英博物館にあるツタンカーメンのマスクです。確かにこれらはエジプトで発掘されたものなのに収蔵されているのは、ヨーロッパの博物館・美術館です。

確かにそのような視点でインディ・ジョーンズシリーズを見ると文化遺産の収奪という風にも見えます。しかもその文化財を守っている現地の人は半裸で腰みのだけを着けている未開人として描かれています。

インディ・ジョーンズが文化財を持って行く相手を日本や日本人に置き換えてみれば分かり易いと思います。インディ・ジョーンズが奈良や京都のお寺に所蔵されている古い仏像を無断で持ち出そうとします。それを阻止しようと日本人の僧侶が多数駆けつけるのですが、その僧侶が全員、チビでメガネをかけて出っ歯で釣り目なのです。そこでインディ・ジョーンズがムチでその僧侶をなぎ倒し、仏像を持って用意していた飛行機にのって日本を脱出し、「ふー、今回危なかったが無事仏像を手に入れた」という内容の映画であれば日本人として複雑な心境になるでしょう。

ただ、最近ユヴァル・ノア・ハラリさんの「サピエンス全史 上下 文明の構造と人類の幸福」を読んだことでその認識が少し変わりました。この本に書かれていたのですが、古代文明の直系の子孫である現代のその地域の人々はその祖先が残した文化遺産に結構無関心なのです。トロイの遺跡を発掘したのはシュリーマンであり、ロゼッタストーンに刻まれていた文字を解読したのはシャンポリオンであり、砂に埋もれていたアブ・シンベル神殿を発掘したのはブルクハルトとベルツォーニでした。ピラミッドがどのようにして建造されたかは未だに多くの謎が残っています。

本当に直系の末裔である現代のエジプト人やカンボジア人が祖先をリスペクトして文化を受け継いでいたのであれば、そういう文化・文明の断絶は起きなかったのではないでしょうか?

もう一つ考えが変わった理由は映画のタイトルを考えた時でした。この記事の冒頭にも書きましたが、この映画が公開された際は、「レイダース 失われたアーク」でした。「raider=侵略者」です。つまりタイトルに最初から「文化遺産の略奪者」という意味が込められているのです(また「tomb raider」(トゥーム・レイダー)「tomb=墓所」と書くと「墓泥棒」という意味になり、別の作品ですがアンジェリーナ・ジョリー主演で映画化されました)。「raiders」と複数形になっているのは、ナチスとインディ・ジョーンズ両方を意味しているのでしょう。

つまりインディ・ジョーンズを無条件で英雄視している訳ではなく、「ナチスとインディ・ジョーンズどちらも文化遺産の略奪者」だという観点からアークの争奪戦をエンターテイメント化しているだけで、「文化植民地主義」のような思想はなかったのかも知れません。

ちなみにスティーブン・スピルバーグ監督はユダヤ人ということなので、モーゼの十戒の石板の後継者ということになります。その観点からこの映画を観ると、モーゼの正当な後継者でもない両者がその文化遺産をめぐって争奪戦をしているという覚めた目線でこの映画を作ったのかも知れません。

映画のクライマックスですが、アークを奪ったナチスはアークをベルリンのナチス本部へ持って帰るまでにアークの蓋を開けます。すると目視していたナチス一党は超常現象により全員死亡します。その間目を閉じていたインディ・ジョーンズとマリオンは生き延びますが、この超常現象が何だったのかは結局説明されないまま終わってしまいます。そこが最後に疑問として残ったところです。

最後に「インディ・ジョーンズ」シリーズ全体への疑問なのですが、英語で発音される際は「インディアナ・ジョーンズ」と発音されるらしいのですが、日本語表記・発音ともに「インディ・ジョーンズ」なのはなぜなのでしょうか?

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